週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第49回は1997年の日経新春杯優勝馬メジロランバダを取り上げる。
メジロランバダが現役だった頃、私は小学生であった。当時この馬の「ランバダ」という名前について「今時ランバダとは」とよく揶揄されていた記憶があるが、私はその感覚が分からなかった。今でもよく分からない。調べてみると1990年前後に“ランバダブーム”というものが存在したそうだが、知ったところで実感が伴わない。やはりリアルタイムの経験とは大切だ。今に例えると「タガノパラパラ」「テイエムコイダンス」「モズウチデオドロウ」なんて名前の馬がいるようなものだろうかと思ったが、パラパラは2000年頃の大ブームの前にも何度か流行ったようだから、またややこしい。
メジロランバダの馬名が違和感を持たれるほど時代にそぐわないものであったように、1990年後半時点においてメジロ冠(メジロカンムリじゃないよ)の血筋はすでに唯一無二というか、ファンの間で一部骨董品のような扱いを受けていた。牝馬三冠馬メジロラモーヌの姪に当たるメジロランバダにしても例外ではなく、偉大な伯母は繁殖牝馬としての能力にもう疑問符が付いていたし、父のテリオスは1980年代のミルリーフブームに乗って輸入された種牡馬だったが、娘がデビューした頃にはすでに廃用の憂き目に遭っていた。
当時の年代としてはすでに古びた、しかし貴重なメジロの血脈は、メジロランバダにおいてはスタミナの源として表れた。1997年のG2・日経新春杯を単勝1.9倍の期待に応えて制して重賞初制覇を果たした彼女は、4歳牝馬ながら春天の主役候補として真剣に検討されるほどになった。当の日経新春杯のレベルは「G3並みの顔ぶれ(月刊『優駿』より)」に過ぎなかったのだが、なんせデビューから6戦5勝とあって未知の魅力があったのだろう。そして鞍上が武豊騎手だ。
しかし、次走の阪神大賞典にてマヤノトップガンの4着に敗れてからというもの、彼女は次第にそのズブさを増していった。ズブさの度合いたるや、1998年の中山牝馬Sにおいて復活勝利を飾った際に手綱を取った横山典弘騎手が「思っていた以上にズブかったけど(笑)」とコメントしたほどだったし、その勝利にしても降雪による重馬場の恩恵との見方が大勢であり、初重賞の頃のような溢れる期待感は過去のものとなった。ただまあ、「底抜けにズブくて悪条件に強い」という、牝馬の牝馬性を真っ向から否定するような彼女のスタイルは、当時にしても稀少な気がしてカッコよかったのも事実である。
メジロ牧場の全盛期もランバダブームも知らない小学生の頃の私であったが、メジロランバダという馬には何故か愛着を抱いていた。メロディーレーン然り、今も昔も“牝馬のステイヤー”はどことなくロマンがあるのだ。繁殖牝馬としては気性難や体質の弱さが顕在化して活躍できない産駒が多かったが、孫の代に地方重賞を勝つ馬が出て牝系が繋がる可能性が出てきたのは喜ばしいこと。20年以上前の一介のG2馬ながら、一度耳にすると延々と脳内を周回するランバダのメロディーのように印象深い1頭、それがメジロランバダであった。
メジロランバダ
牝 鹿毛 1993年生
父テリオス 母メジロマーリン 母父モガミ
競走成績:中央18戦6勝 地方4戦0勝
主な勝ち鞍:日経新春杯 中山牝馬S
(文:古橋うなぎ)