netkeibaのニュースが目に入ってきた。
1995年宝塚記念馬。村本善之だったね。ライスシャワーが下り坂で骨折して予後不良になったレース。梅雨の晴れ間で暑かった日。
タイムが2分11秒台と速かったレース。たしか、タイキブリザード岡部が2着だった。
サクラチトセオー小島太も出てたなぁ。
代理店の部長さんが枠連1-5の10倍くらいを取ってさ、「俺は馬券じゃ負けねぇ」って叫んでいた。
余生は九州で送ってたらしい。
「ダンツ」は2002年に藤田伸二でダンツフレームも宝塚記念優勝。
横浜線の鴨居駅の近くの冷凍倉庫で、とんかつの「さぼ天」の冷凍肉を片付ける仕事をしてた頃。
眼鏡のフレームが印象的なおじさんがいて、ダンツフレームか!とか思ってた。
あの冷凍庫のおんなどもは、夜が深くなると、エロが出てきて、ホテル代がないので大変な思いをしてた。
日韓サッカーWCの年。
ダービーはタニノギムレット、オークスはスマイルトゥモロー吉田豊。
オークスの馬券はチャペルコンサート熊沢が2ちゃに来たので、払い戻し26万円を府中競馬場で月曜に受けた。支払いに充てるとほとんどなくなった・。
ダービーは枠連で2-6(6枠はクリスエスとチアズブライトリー石崎隆之が同居してたので、枠連にしてた)を
1500円だけ1点買い。8倍付いた。
それをラブホテル代にすればよかったのに、「女心は秋の空」みたいな展開で、デキずじまい。
吉田という、水商売上がりの、赤のマニキュアを足の爪にも塗ってた、背が高めの女、それと「さんぺい」という珍しい名前の町田市が家の女の子。
この二人が、セックス候補だった。
「さんぺい」は、同じアルバイトの佐藤という男性と付き合ってたが、仲がこじれており、しなだれかかるように寄ってきた。でも、そのときは吉田のほうが良かったので、断ってしまった・。
7月のJapanDirtDerbyのころに、急に解雇を言い渡されて、その会社とはおさらばした。
横浜では、「モアーズ」の近くで、宅建試験の採点のアルバイトもした。
主婦みたいな、欲求不満充満したやつが目で迫ってきたが、やはりラブホ代がないので、泣く泣く・。
それから、中山駅のクリーン会社に雇われ、川崎大師の五重塔の、ハトよけのワイヤーの糞をぬぐったり、鎌倉の修道院のカーペットの掃除機がけとかをやった。
車で中山から移動だったので、帰りは「くそ」がつく渋滞にハマってた。
JRAもWINSをだいぶ開放するから、久しぶりにWINS桜木町でも行こうかな。
桜木町のWINSでは、1991年のシスタートウショウ-ヤマノカサブランカの桜花賞(イソノルーブルの蹄鉄がハズれて万馬券)、同年の安田記念のダイイチルビー-ダイタクヘリオスで枠連2-6の60倍とか。この安田記念はバンブーメモリー武が内で包まれて1番人気で3着に甘んじた。
シスタートウショウは足の長い馬で、ちょうど買う前に入った喫茶店にいた、30代前半くらいのイイ女が「あれが、シスタートウショウの代わりなの?」とか思った。
馬券はシスタートウショウの単勝にしとけばよかったのに、何かとの枠連(枠連しかなかった時代)にして、損した。
ダンツシアトルに戻るけど、村本は池江泰郎氏の調教助手だったけど、今はどうしてるのかねぁ。
メジロデュレンで有馬記念を勝ったり、アドラーブルでオークスを勝ったりしてたね。
イクノディクタスでGⅡⅢをいくつも勝ち、安田記念で天皇賞からの折り返しで出てきて6万馬券の2ちゃになったり、マックイーンの宝塚記念で内から伸びて2ちゃになったり。
ゴーゴーゼットでアルゼンチン共和国杯も勝ってた。ステージチャンプが2ちゃに負けたレース。
思い出したなぁ(^£)