週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第21回は1992年の京都大賞典優勝馬オースミロッチを取り上げる。
あまりにも長かったコロナ禍を越えて、YouTubeをはじめとした動画サービスが隆盛を迎えている昨今、今から約30年前に活躍したオースミロッチという馬名はマイナーな存在とも一概に言えなくなっている。『ウマ娘』に端を発したメジロマックイーン&イクノディクタスのポピュラー化に付随して、1993年の宝塚記念での松本達也騎手による徹底したインベタ戦法がクローズアップされるようになったからだ。1981年の七夕賞を制した際のビゼンセイリュウの走りに匹敵するこの奇策は、「名優」と「鉄の女」の最後の競演に彩りを添えると同時に、稀代の鉄板ホースを前にして無条件降伏しかけた穴党を大いに喜ばせた。
相手関係と見てくれの印象で言えば、オースミロッチのベストバウトは件の宝塚記念なのだろう。しかしながら、通算8勝の全てを京都競馬場でマークした「淀の申し子」だった彼だからこそ、どうせならば淀で魅せた最高のパフォーマンスを紹介したい…ということで今回は、オースミロッチが5歳秋に勝利を飾った1992年の京都大賞典について書かせていただくことにする。
この年の京都大賞典で中心視されていたのは唯一の3歳馬ヒシマサル。外国産馬であるが故にクラシックから締め出された鬱憤を晴らすかのように、3歳路線の裏街道を驀進した同馬は、鞍上に武豊騎手を迎えて今度は古馬王道路線制圧に乗り出した。生来の気抜き癖とズブさはむしろ敗戦のエクスキューズ。前走のNZTにて同じくマル外のシンコウラブリイに屈したにせよ、父親のセクレタリアトにも由来する“ヒシマサル幻想”が崩れ去ることは無かったのだ。
マル外の怪童にどう抗するか。アーテイアス産駒らしく揉まれ弱いオースミロッチは、グランプリホースになったばかりのメジロパーマーの外の2番手で折り合った。道中例の如く後方でモタつくヒシマサル。この大本命の強烈な末脚を意識した松本騎手は、早々と仕掛けることで先にリードを広げる作戦を選んだ。京都の外回りコースの坂を勢いよく下り、仕上がり途上のメジロパーマーを交わしたオースミロッチが真っ先に4角を回る。武騎手が追っつけ通しのヒシマサルが中団から一気に上がり、ゴール前外から追い込んだが、結局は勝負所の差がセーフティリードとなった。勝ち時計はコースレコード2分24秒6!
レース後のインタビューで松本騎手は涙ぐんでいた。オースミロッチを管理する中尾正調教師の弟子である同騎手は、「何かとお世話になった人だったので…」と先日この世を去った師匠の愛妻をおもんばかり、ジワッと涙を流したのだ。田原成貴騎手を背に冬枯れの芝の上を逃げ切った京都記念と同条件のG2を今度は師弟タッグで掴み取り、秋の淀にも覇を唱えたオースミロッチ。一方、及ばず2着に敗れたヒシマサルの“幻想”にはどことなく陰りが見え始めていた。“外車”ヒシマサルはどこまで強いのか? 天皇賞にも菊花賞にも出走できない同馬の実力のほどは、ジャパンCと有馬記念の秋の王道2戦で明らかとなる。
オースミロッチ
牡 鹿毛 1987年生
父アーテイアス 母ロッチアイ 母父ファバージ
競走成績:中央30戦8勝
主な勝ち鞍:京都大賞典 京都記念
(文・古橋うなぎ)