週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第47回は1984年の3歳牝馬S・東(旧馬齢表記・現在のフェアリーSに当たる)優勝馬エルプスを取り上げる。
(当記事における馬齢表記は旧馬齢表記に統一)
終わってみれば単純明快、しかし真っ只中には複雑怪奇。競馬をやる上でそう見えるものはままある。典型的な逃げ馬であった1985年の桜花賞馬エルプスがそんな馬で、マイル以下の距離で逃げた際には6戦6勝、それ以外は5戦全敗と実にハッキリしていた。競馬とは結果から考えればもちろん簡単なのだ。結果から考えれば…。
快速牝馬エルプスの競走馬としてのカラーは3歳時にはほぼ完成していたと言っていい。1984年9月に折り返しの新馬戦を勝ち上がり、そこから連闘で挑んだ函館3歳Sにてトウショウレオ以下を圧倒して4馬身差の逃げ切り勝ち。420キロ前後の華奢な牝馬が瞬く間に重賞ウイナーにのし上がったのだが、12月のオープン特別・すずかけ賞は他馬と接触する不利もあって逃げられずシンガリ負け。この大敗により彼女の評判は底値に至ってしまうも、次走のG3・テレビ東京賞3歳牝馬S(「3歳牝馬S・東」とも呼称される)では単勝11番人気の身でハナを切り、タカラスチール以下を完封して捲土重来。
要は逃げられるか逃げられないかという馬であり、多少強引だろうがペースが早かろうがハナを奪ってしまえばこっちのもの。そんなエルプスの個性は翌年のクラシックシーズンにおいて最大限に輝くわけだが、桜花賞などで発揮した彼女の強さは3歳牝馬S・東でのレースぶりにも垣間見える。
1コーナーのポケットからの発走であり、今も昔も外枠不利な中山千六コース。出が良かったのは2番枠の人気馬ダイナシュートであったが、それを8枠13番エルプスが強引に制した。途中同厩のシールドが引っ掛かってエルプスに競り掛けるシーンもあったが、的場均騎手が制して事なきを得た。エルプスの生涯の相棒となる木藤隆行騎手は彼女のスピードを十二分に活かす形を取って道中ペースを緩めず、番手に控えたタカラスチールやダイナシュートを牽制。結局そのまま逃げ切ってしまった。
3着ダイナシュートの柴田政人騎手は「ソツなく乗ったつもりなんだけど」と首を傾げ、2着タカラスチール鞍上の佐藤吉勝騎手は「直後にダイナシュートがいたので、それを警戒しすぎてしまいました」と悔やんだ。これらの発言から分かるように、エルプス自身の強さに対して周囲は半信半疑だったのだが、木藤騎手とのコンビが醸し出した「強さを感じさせない強さ」こそが翌春の西下の際には杉本清アナウンサーをも欺き、彼女を桜の女王の座へと導くのである。
終生その主義主張が一貫していたエルプスは、当初は正体不明の代用種牡馬であったマグニテュードが「スピードに富んだ快速種牡馬」として評価されるきっかけとなった。マグニテュードの血統を見る限り決して距離の持たない血筋ではないのだが、桜花賞を逃げ切ったエルプスにより形作られた先入観が同父のミホノブルボンの風評とかレーススタイルに及ぼした影響は案外大きいのかも知れない。
エルプス
牝 栗毛 1982年生
父マグニテュード 母ホクエイリボン 母父イーグル
競走成績:中央11戦6勝
主な勝ち鞍:桜花賞 4歳牝馬特別・西 京王杯AH 函館3歳S 3歳牝馬S・東
(文:古橋うなぎ)