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後世の名牝に「道」を示した女傑エアグルーヴ「名牝ダイナカールの孝行娘」の独り立ちは夏の風物詩・札幌記念から始まった─Gambling Journal ギャンブルジャーナル/2016.08.17
http://biz-journal.jp/gj/2016/08/post_1083.html
1997年の夏、札幌記念に一頭の牝馬が登場した。だが、その馬はまだ母仔2代に渡るオークス制覇を成し遂げた、名牝ダイナカールの孝行娘でしかなかった。
1996年のオークス馬エアグルーヴである。
3歳時のエアグルーヴは、当時からすでに高い完成度を誇っていた母とは異なり、非凡なポテンシャルを秘めながらも、どこか頼りない存在だった。チューリップ賞を5馬身で圧勝しながらも発熱で桜花賞に出られず、続くオークスを制したものの、どこか才能だけで勝ってしまったような感じだった。
実際に最後の一冠・秋華賞も、体調が整わずにステップレースが使えないまま直行。本番のパドックでは、ファンの激しいフラッシュに入れ込みが収まらず(以後、パドックのフラッシュ撮影は禁止になった)、挙句にはレース中に骨折して10着に大敗している。
そんな屈辱の秋華賞から約半年、マーメイドSから復帰したエアグルーヴはこのレースを楽勝。夏の北海道の風物詩・札幌記念へ駒を進めた。
しかし、超良血馬に武豊という組み合わせで過剰な人気こそあったものの、競馬ファンのエアグルーヴへの期待度はそれほど大きなものではなかった。
当時はまだ、牡馬が牝馬を圧倒している時代であり、クラシックを勝つような牝馬でも古馬になってからは、牝馬限定戦やメンバーの落ちる夏場の重賞で活躍するのがやっとというのが相場だったからだ。
例えば、オークスだけを見てもエアグルーヴの前年のダンスパートナー、前々年のチョウカイキャロルともに、古馬になってから牡馬を相手に上げた勝利はG3を1つがやっとという有様。3年前の2冠牝馬ベガに至っては、牡馬を相手に未勝利だ。
次のページ▶▶▶ エアグルーヴの存在なくして「道」はなかった。
だがその反面、この3頭が1990年代を代表する名牝であることは紛れもない事実。つまり当時は、あくまで「牝馬の中だけ」で名牝の地位が築かれた時代だった。だからこそ、この札幌記念の単勝1.8倍もエアグルーヴの能力というよりは、まだどこか底知れない可能性を持った新勢力に対する畏怖や期待の表れだったといえる。
しかし、エアグルーヴが2着に2馬身1/2をつけて完勝した時、人々の彼女への期待はいよいよ"本物"になりつつあった。外を回りながら、直線であっさりと抜け出したその走りには「夏は牝馬」の一言では片づけられない、圧倒的なパフォーマンスがあったからだ。
それでも、その後のエアグルーヴが牝馬として17年ぶりに秋の天皇賞を勝つなど、ましてやその年の年度代表馬になることなど、誰もが想像していなかったはずだ。繰り返しになるが、それくらい当時の牝馬の"可能性"は限られていたのだ。
だが、エアグルーヴは前年の覇者バブルガムフェローとの壮絶な叩き合いを制して天皇賞・秋を制覇。それは衝撃に包まれた当時だけでなく、その後の競馬界にとっても「極めて優秀な牝馬であれば、牡馬の一線級を負かすことができる」という"事実"を示した、極めて大きな勝利だった。
この勝利がなければ、ウオッカの日本ダービー制覇を含めた、近代競馬に燦然と輝く女傑の活躍はなかったかもしれない。
どれだけの能力を秘めようとも「挑戦」しなければ、可能性はあくまで可能性のままだ。そして、エアグルーヴの勝利は後の多くの牝馬に勇気をもたらし、彼女たちの可能性を後押しした。いわば"女性の地位向上"に著しく貢献した勝利だったといえる。
その後、エアグルーヴはジャパンカップ、有馬記念、宝塚記念と一線級の牡馬と互角以上の戦いを続けながら、翌年の札幌記念を連覇。ちなみにこの時は牝馬ながら58㎏(牡馬換算60㎏)を背負って勝利している。
ちなみに21世紀の競馬を代表する名牝ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナには58㎏どころか57㎏以上を背負っての勝利が一度もない。
これだけを見ても、エアグルーヴが当時如何に「規格外の名牝」だったのかがわかるというものだ。
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