グリーンセンスセラさんの競馬日記

「伝説の有馬記念」 あのルメール騎手が言い放った。

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C.ルメールが武豊らを全否定!? 「馬のことをわかっていない」国民的英雄ディープインパクトを破った「伝説の有馬記念」を語る─ Gambling Journal ギャンブルジャーナル/ 2017年12月13日 6時0分 http://biz-journal.jp/gj/2017/12/post_5308.html


今年も年末24日には、国民的レース有馬記念(G1)が中山競馬場で開催される。

 世界一馬券が売れるレースとして1996年には1レースだけで875億円を売り上げ、ギネス記録にもなった有馬記念。主催するJRAとしても最大のかき入れ時で、公式サイトでは早くもM.デムーロ騎手×C.ルメール騎手による「スペシャル対談企画」が掲載されている。

 異国のトップジョッキーからJRA騎手に転身して約3年。今年の競馬は、まさに「春のルメール」「秋のデムーロ」といった具合に、この2人を中心に流れたと述べても過言ではない。そんな2人が日本最大の競馬イベント有馬記念に対する思いを語った今回の対談企画は、競馬ファンなら必見の内容である。

 中でも印象的だったのは、ルメール騎手が無敗の三冠馬として国民的な人気を博していたディープインパクトを打ち負かした2005年の有馬記念の思い出を振り返ったシーンだ。

 当時、競馬界を代表するカリスマ武豊騎手とのコンビで、デビューからクラシック三冠を含む破竹の7連勝を上げ、その活躍が社会現象にもなったディープインパクト。レース当日の中山競馬場には、そんな「近代競馬の結晶」を一目見ようと前年比129.6%にあたる16万2409人もの大観衆が詰めかけた。

 事前のファン投票でも16万297票とぶっちぎりの支持を得ていたディープインパクト。やや投票形式が異なるものの、これが引退レースとなる今年のキタサンブラックでさえ12万4641票なのだから、その異常な人気ぶりがうかがえる。

 今回が古馬との初対決となるため単勝オッズこそ自己最高の1.3倍に留まったが、大多数の競馬ファンだけでなく、当時の有馬記念を特集するメディアさえも「ディープインパクトが勝つ」ことを信じて疑っていない空気が醸し出されていた。

 その一方で、ルメール騎手のハーツクライは、もがき続けていた。

❖次のページ ルメール騎手もまた、あと一歩足りない悩める騎手


 3歳春に京都新聞杯(G2)で重賞初勝利。続く日本ダービー(G1)では2着に好走し、秋の菊花賞(G1)では1番人気に支持されたハーツクライ。「いずれG1を勝てる」と期待された素質馬だった。

 だがその後、宝塚記念(G1)とジャパンC(G1)で2着するも、G1どころか勝利さえ上げることなく4歳秋を迎える。そんなあと一歩足りない悩める素質馬の"再建"を託されたのがルメール騎手だった。

 しかし、当時のルメール騎手もまた、あと一歩足りない悩める騎手だった。

 2002年の来日初騎乗から3年。すでにその腕は誰もが認めるところとなっていたが、日本のG1に限っては9戦して勝利なし。それも5度の2着を記録するという、人馬共にG1を勝ち切るには「何かを変える」必要があったコンビといえた。

 コンビ初戦となった秋の天皇賞、ジャパンCと共に2番人気に推されながら、勝ち切ることができなかったハーツクライとルメール騎手。特にジャパンCでは自身もレコードタイムで駆け抜けているにもかかわらず、英国のアルカセットにハナ差だけ及ばない悔しい敗戦となっていた。

 そんな中で迎えた年末の有馬記念。対談の中でルメール騎手が「有馬記念を観に来たお客さんは、みんな三冠馬ディープインパクトを応援していました」と語ったように、状況はまさにディープインパクト一色。ハーツクライは4番人気ながら単勝は17.1倍と、やはり"脇役"の域を出ない1頭だった。

 ただ、その一方でルメール騎手は意外な発言をしている。

 当時、まだ負けなしと無双状態だったディープインパクトに対して「もちろん勝てる自信はあった」と発言。逆に周囲がディープインパクト一色であったため、それで「少し不安だった」というのだ。

❖次のページ 己の正当性を証明したルメール騎手の騎乗は「天才的」と最大級の賛辞を浴びた

その自信の根拠は、当時を知る競馬ファンなら誰もが記憶に残っているであろう斬新な戦略にあった。

 これまで後方から、上がり最速を記録すること7度。強烈な末脚を身上としていた"キレ者"ハーツクライが、まさかの先行策。結果的にこれが無敗の英雄に国内唯一の土をつけることになるのだが、この作戦は事前に考えられていたのかという質問に、ルメール騎手は「イエス」と答えている。

「天皇賞・秋、ジャパンCでの騎乗は間違っていた。馬のことをわかってあげられなかったんだと思います。そこで有馬記念で勝つには、好位につける競馬でいこうと考えたんです」

 そう自らの騎乗を否定してまで決意した積極策。それは同時に、安藤勝己元騎手や横山典弘騎手、そして武豊騎手など名立たる名手が築き上げたハーツクライのこれまでのキャリアをも否定する斬新な発想だった。

「スタートから出していったんですが、上手く応えてくれました。ハーツクライはストライドの大きいパワフルな馬ですが、加速するまでに時間が掛かる。その点を考慮して、好位につけ、4コーナーから仕掛けていこうと思っていました」

 如何に斬新であろうとも、競馬は結果がすべて。会心の先行策により、見事ディープインパクトの猛追を振り切ったハーツクライ。人馬共に初のG1制覇を飾り、己の正当性を証明したルメール騎手の騎乗は「天才的」と最大級の賛辞を浴びた。

「身体の内から爆発するような嬉しさでした。日本で初めてG1を勝った喜びもありました。戦略が上手くハマった気持ち良さ、色んな感情が湧いてきました」

 そして、この先行策こそがハーツクライにとって最も力を発揮できるスタイルであることを、ルメール騎手は翌年のキャリアで証明している。

❖次のページ 最後にハーツクライに対して「日本で最初にできた恋人」と語ったルメール騎手

 春に遠征したドバイシーマクラシック(G1)では、香港ヴァーズなどG1・3勝を上げるコリアーヒルなどの強豪に対し、最後の直線で一方的に突き放す4馬身半差の圧勝。さらに特筆すべきは、次走のキングジョージ6世&QES(G1)での激走だ。

 6頭立てとなった春の欧州最強馬決定戦で、ハーツクライは凱旋門賞馬ハリケーンランと、ドバイワールドカップ(G1)の勝ち馬エレクトロキューショニストという、当時の世界王者2頭と堂々の戦いを披露。

 激しい叩き合いの末に僅差の3着に敗れたが、その年3連勝を飾り、秋には日本を代表して凱旋門賞に出走することが決まっていたディープインパクトを差し置いて「ハーツクライこそが現役最強」と語る人も決して少なくはないほどの評価を受けていた。

 結局、ハーツクライはその後にノド鳴りの症状が発覚し、その年のジャパンCを最後に引退。引退レースではディープインパクトに借りを返された格好となったが、この2頭は現在でも日本を代表する種牡馬として、数多くの大レースで鍔迫り合いを演じている。

 最後にハーツクライに対して「日本で最初にできた恋人」と語ったルメール騎手。今年の有馬記念では、どんなドラマが待っているのか。ルメール騎手の話をすぐ隣で静かに聞き入っていたデムーロ騎手を始め、様々な思惑が交差するスリリングなレースを期待したい。

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