グリーンセンスセラさんの競馬日記

「天と地」の決戦

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天才・武豊と帝王・岡部幸雄の意地がぶつかり合った「天と地」の決戦。天皇賞・春(G1)に25年の時を経て再び訪れた「世紀の対決」─Gambling Journal ギャンブルジャーナル  / 2017年4月24日 13時15分 http://biz-journal.jp/gj/2017/04/post_3202.html

「(メジロ)マックイーンに対して作戦なんて別にない。とにかく自分の競馬をするだけというか......特に長距離レースの場合には、自分の馬を先にコントロールすること。そっちの方に一生懸命ですよ」
 1992年の天皇賞・春(G1)を前にした記者会見で、トウカイテイオーの主戦・岡部幸雄はそう語った。
 トウカイテイオーVSメジロマックイーン。「世紀の対決」と名付けられた現役王者同士の決戦を前に当時のメディアやファンは何日も前から色めき立ったが、注目の岡部から告げられた言葉はまるで素っ気ないものだった。
 今でこそ武豊が競馬のイメージ大きく変えた結果、騎手がまるで芸能人のように扱われているが、当時、つまりは岡部時代の騎手たちのイメージは「寡黙な職人」といったところ。まだ競馬がファンやメディアの要求に合わせて、それほど気の利いた言葉を発信せずともよかった時代だった。
 だからこそ、まだ23歳の若者に過ぎなかったメジロマックイーンの主戦・武豊も「まず自分自身、メジロマックイーン自身の闘い。出走馬全部との戦い」と当時の競馬界の"帝王"岡部の主張に合わせるように「2強対決」を否定。「まあ、結果として2頭の決着になるんじゃないかというのはある」と言うに留めた。
 だが、公式の記者会見の場では「冷戦」を貫いても、それぞれが東西に分かれた追い切りでは熱い火花が散る一幕があった。
 東でトウカイテイオーの調教をつけた岡部が「地の果てまで走りそう」と、キャリア初の長距離戦に強い自信を示せば、西でメジロマックイーンの調教をつけた武豊が「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」と応酬。両者はお互いのプライドを懸け、激しく意識し合っていた。
 岡部がトウカイテイオーとコンビを組んだのは前走の大阪杯(当時G2)が初めてだったが、その強さに対しては絶対的な自信があった。


▶▶▶次のページ 武豊「天に昇ってでも勝つ」という強い意志があった
 それは本馬が無敗で日本ダービー(G1)を制覇し、未だ負けなしの7連勝中だったという事実もあるが、それ以上に岡部は前年のダービーでトウカイテイオーの怪物じみた強さを肌で感じていたからだ。
 トウカイテイオーは、岡部が「史上最強馬」に挙げるシンボリルドルフの仔として、無敗による日本ダービー制覇を父子で達成。単勝1.6倍に応えて、後続を3馬身以上突き放す楽勝劇だった。
 その時の2着馬レオダーバンに騎乗していたのが岡部である。
 ダービートライアルとなる青葉賞(当時OP)を1番人気に応えて完勝したレオダーバンと、確固たる"野望"を持って頂上決戦に挑んだ岡部。しかし2番人気に支持されたものの、トウカイテイオーの前に手も足も出ないまま完敗。その後、岡部とレオダーバンは"主役不在"となっていた菊花賞(G1)を制覇したことで、ますますトウカイテイオーの恐ろしいまでの強さを実感することとなった。
 そこで自身とのコンビを組むこととなったトウカイテイオーが約10カ月ぶり、それも+20㎏という馬体重でのレースにもかかわらず、ほぼ馬なりで大阪杯を完勝。普段は寡黙で冷静な男から「地の果てまで走りそう」と、珍しくメディア向けの表現が飛び出したのも当然か。
 いずれにせよ、岡部はトウカイテイオーに対して、それだけ大きな自信を持っていたのである。
 だが、対するメジロマックイーンの武豊にもあちらが地の果てなら、こちらは「天に昇ってでも勝つ」という強い意志があった。

▶▶▶▶次のページ この舞台だけは落とすわけにはいかなかった

前年の春、メジロアサマ、メジロティターンから続く天皇賞・春の父子3連覇の偉業を担った「平成の盾男」武豊。それは自身がイナリワンとスーパークリークで天皇賞・春を連覇していたからこそ託された、メジロ軍団の悲願そのものだった。
 父子3連覇こそあっさりと達成した武豊だったが"重責"から解放されたのも束の間、宝塚記念(G1)では、これまで何度も退けてきた同僚メジロライアンにまさかの敗北。それはまだ"軽傷"だったが、迎えた天皇賞・秋(G1)で単勝1.9倍の人気に応えるように後続を6馬身突き放してゴールするも、まさかの斜行降着処分。
 G1では初となる1位入線馬の降着劇だった。
 本件に激怒したメジロ軍団はJRAの処分を不当とし、一時はメジロマックイーンのジャパンCと有馬記念の出走を拒否する構えを見せる事態に発展。最終的にはどちらにも出走したが、史上初の惨劇をやらかしてしまった武豊の手綱は冴えず(実際に当時の武豊は11月末からずっと連敗中だった)、本来の走りを見失ったマックイーンは連敗を喫した。
 その後、年が替わり始動戦の阪神大賞典(G2)を圧勝していた武豊だったが、やはり「この舞台で、メジロマックイーンが負けるわけにはいかない」という信念があった。決して順風満帆とは言えないコンビだが、この舞台だけは落とすわけにはいかなかった。
 戦前の盛り上がりとは対照的に肝心のレースは、あっさりと決着がついた。

▶▶▶▶▶次のページ 『春の盾は絶対に渡せないメジロマックイーン』『春の盾こそ絶対にほしいトウカイテイオー』

『春の盾は絶対に渡せないメジロマックイーン』
『春の盾こそ絶対にほしいトウカイテイオー』
 勝負所の第3コーナー「淀の坂」を走り抜けた際、早くも先頭に立とうとするメジロマックイーンと、それをマークするトウカイテイオーに対して、実況の杉本清氏がそんな言葉を贈った。メジロマックイーンにはチャンピオン・ステイヤーとしての意地があり、トウカイテイオーとしてはこの距離でマックイーンを倒してこそ「現役No.1」を名乗る資格があった。
 しかし、両雄による意地のぶつかり合いは最後の直線に入るまで。4角先頭からの横綱相撲に出たメジロマックイーンとは対照的に、脚色を失い後退を余儀なくされるトウカイテイオーは結局5着に沈んだ。
 あれから25年。キタサンブラックの主戦・武豊は、今度はC.ルメールとサトノダイヤモンドを相手に「世紀の対決」へ挑むこととなる。
 歴史は変わるのか、それとも繰り返されるのか――。淀の長丁場で再び、王者同士の意地が激突する。
(敬称略)            

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